穏やかな木漏れ日の下で瞳を閉じる。
　まぶたの向こうに見える影は風が吹くたびに形を変え、人の手では真似することの出来ない模様を描き出す。
　ゆっくりと過ぎてゆくときに呼吸をあわせる。
　そして…。

　それは、若さ故の衝動にすぎなかった。
　はじまったばかりの夏期休暇を一年を共にした友人たちとそれぞれの家で過ごす。
　窮屈な寮を飛び出す開放感に彼らははしゃいでいた。
　この日も噂に聞く薔薇園を見に行こうじゃないかという話になり、三人は離宮に向かった。
　庭伝いに歩いて行けば半刻もかからないのだが、手ぶらでは離宮の主に申し訳ないと街に出て土産を買い馬を走らせる。
　お茶には少し早く、昼御飯には少し遅く。
　そんな時間についた甥の姿を見て離宮の主は盛大にため息をついた。
「先触れも無しにこのような時間に来るというのはどう云うことなの？」
　呆れてはいるが怒ってはいないようだ。
「ごきげんよう伯母上。突然の非礼は謝ります。お詫びと云っては何ですが…」
　市場で買ってきた果物を差し出すとまたため息が返ってくる。
「キュアン…。あなたももう士官学校に入ったのだからいつまでも子どものような…」
「大丈夫ですよ。お金はきちんと払いました」
　友人とその伯母の会話を聞きながら、二人は苦笑した。
「伯母上、この悪友二人が薔薇園を見たいと云っているのですがよろしいですか？」
　やっと紹介された少年たちは恭しく年長者である女性の手を取り口づける。
　二人の名は聞かずとも分かっている様子で冷たい飲み物を用意しておくから好きに見て回るようにと少年たちを送り出した。
　
　庭園に足を踏み入れると薔薇は初夏の陽射しの下に輝きを増していた。
　花々は今が時とばかりに咲き乱れ、芳しい薫りをあたりに放っていた。
「話には聞いていたけど、すごいなぁ」
「もとは、ノヴァの故郷に咲く野生種を移植したんだけど、代々の管理人である王妃たちの趣味でいろいろな品種の薔薇がつけ加えられたんだ。母はすでに亡くなっているので今は伯母が管理している」
　最初の薔薇は小さな野生の蔓薔薇だった。
　だが、ノヴァの息子たちの妻はそれに様々な彩りをつけ加えていった。
　どのような花を増やすか…。
　色合いはどうするか…。
　それはレンスター王家の女たちによって決められてきた。
「そんなに広い庭じゃないんで好きに見てくれ。僕は伯母上におつき合いしてくるよ…」
　面倒そうに後ろ頭をかきながらキュアンは来た道を戻ってゆく。
　残された二人は思い思いに小径を曲がっていった。
　
　小枝を踏む音が聞こえて彼女は目を覚ました。
「だれ？　マリー？」
　最近、行儀見習いに来ている少女が来たのだろうか？
　眠い目をこすりながら体を起こす。
　だが、視界に入ってきたのは少女ではなく見たことのない少年だった。
　驚きで声を上げる。
「すまない。人がいるとは…」
　少年は慌てて頭を下げる。
　くり返し、何度も。何度も。
　その姿が余りにもおかしくて彼女は声を上げて笑う。
「そんなに謝らないで。他の人が来るなんて思ってもいなかったから…」
　そう告げると少年は安心した様子で顔を上げ、彼女に微笑みかけてきた。
「本当にごめん。花に誘われて…」
　花に誘われて…。
　あまり知る人のないはずの場所に少年が来たのはそのためだったのか。
　笑いすぎて咳が出てきた。
　少女は胸を押さえて立ち上がろうとする。
「大丈夫？」
　目の前にそっと手がさしのべられる。
「ありがとう。大丈夫よ。いつものことだから。…えっと…」
「エルトでいい」
「ありがとう、エルト。わたしはグラーニェよ」
　その名に憶えがあったのか少年はまじまじと見つめてくる。
「貴女がキュアンの従姉のグラーニェ姫…」
　グラーニェは目をしばたかせた。
　黄金の髪、白い肌。
　そして澄んだ青い瞳。
　服だって細かい織りの上等な物だ。
　エルトという名を聞いて気がつくべきだった。
　グラーニェは優しく微笑みかける。
「ようこそ。ノヴァの秘密の花園へ。エルトシャン王子」
　
　笑い声が聞こえてきて驚いたのはキュアンだった。
「グラーニェ…。どこでエルトに…」
　従弟の問いかけにグラーニェは肩をすくめて笑う。
「ひみつ」
「……エルト？」
「彼女が答えないのに言えないだろう」
　エルトシャンの答えにキュアンはもう一人の友人シグルドと顔を見合わせた。
　
　少年たちはレンスターでの短い滞在の後、ノディオンに向かった。
　そこでの滞在を終えると再びグランベルの士官学校へと帰っていった。
　そして同じような夏が彼らの上を過ぎていった。