目の前で子どもが転んだ。
　子どもというのは何でもないところで転ぶ。
　そして、泣き出す。
　はじめはなにが起きていたのかわからなかったのに、自分が転んでいるという状況を認識して泣きはじめるのだ。
「おかあさーん」
　大きな声で母親を捜す。
　そんな子どもの姿にカガリは駆け寄ると助け起こし、泣いている子どもをぎゅっと抱きしめる。
「よしよし、大丈夫だ。ちょっと擦りむいたけど、大っきなケガはして無いぞ」
　服を軽く払ってやると子どもはきょとんとして、それから嬉しそうに笑い出す。
　ちょうどその時になって子どもの声に気がついた母親が慌てて飛んできてカガリの腕の中で笑っている我が子を見つける。
「ありがとうございます」
　礼を言い子どもを引き取ると、なんども頭を下げて親子の姿は遠くなる。
　
　
「さっきのカガリ…。なんだかお母さんみたいだった」
　部屋に戻って二人分のコーヒーを入れる。
　片方のマグカップを受け取りながらカガリは「なんてことない」と笑っている。
「子どもって云うのは大丈夫だって言って貰いたいから泣くんだって」
　記憶にないほど昔に誰かから聞いたのだとカガリは言う。
「だから、泣いているときは先ず抱きしめて安心させてやるのが一番なんだ」
　遠い昔、彼女もそんな風に抱きしめたられたのだろうか。
「ちなみに、小さい子どもじゃなくても効くぞ」
「へ？」
「キラ。前に泣いていたとき、抱きしめてやったら泣き止んだ」
　カガリが首を傾げる。
「……いま…」
「え？」
「オレも…泣いてもいい？」
　カガリの腕の中で泣きじゃくるキラが容易に想像できたことが悔しいのと同時に羨ましかった。
　オレの言葉にカガリは苦笑するとマグカップをサイドテーブルに置く。
「ばかだなぁ…。ほら…」
　カガリは先ほどの子どもにしたようにオレを抱きしめるとあやすように「よしよし」と背を叩く。
　背に回された腕。
　伏せられた睫毛。
　オレはカガリを抱き返す。
「アスラン？」
「このまま……」
　ベッドに押し倒しちゃダメ？
　聞くまでもなく、拳で殴られた。

END
200310092045