蒼き夜


　真夜中に散歩するのはささやかな楽しみだ。
　夜番以外誰もが寝静まる時刻。
　それはシエラの時間だ。
　昼は隅々まで慌ただしいこの場所も、夜となれば獣たちですら寝静まる。
　その中を一人歩くのも悪くない。
　この喧噪を隠した静けさが心地よい。
　いつものように歩いているうちに、珍しい人影を見つけ、シエラは空中庭園に足を向けた。
「珍しいのぉ。おんしがこのような時間にこのような場所におるとは」
　声をかけられた人物は表情を変えることなくため息を吐いた。
「ぼくだってあの石版に張り付いている訳じゃないよ」
　面倒そうにしながらも返事がある。
「そうか。ならば共に月見でもするかえ？」
　空には細い月が見える。
　冗談はよしてくれ。
　そう言いたげなルックを無視して、シエラは近くのベンチに腰掛ける。
「……あんたはなんでここにいるの？」
　しばしの沈黙の後ルックが口を開いた。
「そうじゃのう。偶然と言うべきかのう。これを取り戻す手伝いをして貰うたでな……」
　月の紋章を宿した手を愛おしげに見つめる。
　偶然？
　ルックが眉をひそめる。
「偶然じゃな。星とはそういうものではないか？」
　この地に至るまでの間。
　長い長い旅をしてきた。
　あの日、村に残った最後の一人を看取ってから。
　奪われた月の紋章を追って旅を続けた。
　その旅の中、様々な話を聞いた。
　群島や女王国、グラスランドでの出来事、トランでの戦い。
　大いなる力が集う時、そこにはいくつのも人の願いがあった。
　願いが力を生み出すのか、力が願いを生み出すのか。
　ムッとしたままのルックの表情にシエラは目を細める。
「………厭わしさと愛おしさはどこか似ているのじゃ」
　厭わしいと思っていた出来事さえ、愛おしく思うことがある。
　それは失ってみて初めて気が付いたこと。
　紋章という呪いに怯えるだけだったころには気が付けなかったことだ。
「…………」
「風の。未来とはよくわからぬものじゃ」
　人の中にいたこの数百年。
　思いがけぬ出来事は何度もあった。
　つい最近も。

『………なぁ、シエラ。“２７の真の紋章”…その力は、重たいのか？』
　紋章を見つけ出し、それを入手せよ。
　そう密命を帯びていた男は自分に向かって訊ねてきた。
　まだ紋章に支配されるしかなかったころは重たかった。
　今とて重くないとは言うまい。
　ただ、かつてのように無闇に恐れたり、嫌ったりはしていない。
　あの男に言った言葉に偽りはない。

「あんたはそうやって生きていくの？」
　問いにシエラは頷く。
「そうじゃな。そうやって死ぬまで生きるのじゃ」
　死が訪れるとしたらどのような形だろうか。
　始祖とて完全な不死身ではない。
　真の紋章を完全に破壊されるか、再生を許されぬほど肉体を破壊されれば死ぬことは出来るだろうか。それ以前にこの紋章を破壊することは出来るのか…。
　紋章とそれが見せる世界を恐れ逃げていた間、幾度も考え、終わりが来ることを願った。
　だが今はそのように思い、願うことはない。　
「この戦いが終わったらあんたは……」
　どうする？
　問いかけの言葉をルックが飲み込む。
　ルカ・ブライトとの決戦は間近だ。
　そして戦いに負けることはないだろう。
　誰もがそう信じ、現実の物となるのも時間の問題だと考えている。
　この戦いが終わったらどうする？
　この場所に暮らす人々の間で最近よく交わされる言葉だ。
　すでにそのための下準備を始めている者たちもいる。
「そうじゃのう。……ハルモニアにでも行くかのう」
　ゆっくり月を見上げる。
　今まで淡々と話していたはずのルックが息をのんだ。
「はぁ？あんた死にたいのか？あの国が…ヤツが…」
　慌ててそう捲し立てる人に視線を戻す。
「冗談じゃ」
　じゃが、もうしばらくはヒトと共に生きてみようとは思う。
　その言葉をシエラは胸にしまい込む。
「風の。おんしはどうするつもりじゃ？トランの英雄殿のように隠居でもするかえ？」
　大きすぎる力を手に入れた者の多くが一度は身を隠す。
　その力をもてあますのだ。
　人の世にあってそれは仕方のないことだ。　
「さぁね」
　そう答えたルックの心に言い表しようのない思いが浮かぶ。
　彼らとは違う。
　ある日突然、真なる紋章の力を手にいれ途惑う人々とルックは違っていた。
　それは最初からルックの手の中にあるのだから。
「気が済むまで考えるがよい。我らには時間が沢山あるでな」
　考え、苦しみながら、もがきながら進んでいくのだ。
　紋章を得た者は皆同じだ。
　そして長い時を過ごしているうちに気が付くのだ。
　自分の答えに。
　
『なぁ、シエラ。おれが、もし……もしもだな、その……人として充分生きて…それで、そいつに飽きた時にはあんたと同じ道を歩いていてもいいって言ったら…』

　いつかあの者のことも忘れるのだろう。
　果たされることのないいくつもの約束の一つとして。
　両親や家族のことと同じように記憶の片隅に追いやってしまうのだ。

「さて、わらわはそろそろ休むが、おんしはどうする？」
　ルックは好きにしろと肩を竦める。
　まだもう少しここにいるようだ。
　シエラは建物の中へと向かいながら空を振り返る。
　満ち行く月。
　満ち行く力。
　先のことなどわからない。
　それが８００年生きて出した答えだ。
　ルックもいつか見つけるだろう。
　自分が進むための道を。
　白みはじめた夜空を背にシエラは地下へと向かう。
　いまひとときのまどろみを求めて。


END

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ルックとオババです。
二人とも大好きなキャラでどっちも書きたいと思ったので、二人まとめてみました(笑)
ナッシュのセリフを確認するために外伝引っ張り出してきたよ。
この話は３へと続くことを前提として書いています。
３が許せない人ごめん。
結構好きなんだ３。
デザインは深海ゆらさんに手伝って貰いました(笑)
幻水２の１０周年記念企画サイトへの投稿作品です。

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