「う〜〜ん…」
　珍しくうなり声を上げている一騎の姿に真矢は声をかける。
「どうしたの一騎くん。さっきから…」
「え、遠見？なに？」
「なにって…一騎くんが唸っていたから声をかけただけだよ」
「唸ってた？」
　無意識だったらしい。
「うん。どこか悪いの？それとも悩みごと？あたしでよければ相談に乗るけど」
　ぼんやりとしたしゃべり方にだまされそうになるが真矢のツッコミは的確だったようで一騎は眉間にしわを寄せたまま腕を組んで目を閉じた。
　しばらくそのままだったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「遠見は…今日の夕飯は何が食べたい？」
「…お夕飯…？一騎くんが作ってくれるの？」
　顔を見合わせるた二人の間に形容しがたい沈黙が流れる。
「あ…いや、その父さんが…」
「おじさんがどうしたの？身体でも悪いの？」
「違うんだ。そうじゃなくて…」
　一騎は言葉を切るといつになく迷っているようだ。
　その証拠にちらちらと真矢を見ては目をそらすなど常にはない行動をとっている。
「うち…男二人だろう。食事をどうするか、何をどれくらい作るかが毎日の悩みでさ。遠見はそういうこと無い？」
「…うちは…お母さんかお姉ちゃんが作ってくれることが多いからあまり悩まないかな」
　多くもなく、少なくもなく。
　女三人の美容と健康に気をつけたバランスの取れた食事を作るのは弓子の仕事だった。
「おじさんは作らないの？」
「作ってくれたら楽だとは思うけど…」
　思うだけだ。
　実行して欲しくないのが本音だった。
　史彦だって料理が出来ないわけではないが、上手くはない。
　いや、どちらかといえば…不味い。
　声には出さず、への字に曲げられた口が全てを語っていた。
「面白いね」
　一騎の表情がころころ変わっていくそのことが嬉しくて真矢は口元を押さえて笑う。
「…そうかな…。結構…真剣に悩んでいるんだけど」
　腕を解いて黙り込む。
「本とか見て作るのはどうかな？あたしも一騎くんの料理を食べてみたいな」
　何も考えずに出た言葉に一騎はじっと真矢を見る。
「……えっと…あの…」
　慌てて両手を振って前言を取り消そうとするが言葉が上手く出ず、顔だけが赤くなる。
「ありがとう。遠見」
　立ち上がりカバンを手にする。
「…え…あ…」
「たまには…そういうのもいいかな」

「父さん、夕飯」
　一騎の言葉に史彦は入念に手を洗い部屋に上がる。
　ちゃぶ台に並べられた料理にしばしの沈黙が訪れる。
「…これは…」
　山と盛られたサラダを前に言葉を失う。
「父さんも…そろそろ身体に気をつけないと…。その筋肉維持には肉も必要だけど、もっと野菜もとらないとね。一日中座り仕事してるんだし」
「…あ…ああ、気遣いはありがたいが…おまえはそれで足りるのか？」
　腹持ちの悪い葉物野菜ばかりでは育ち盛りの胃袋には物足りないのではないか？
「オレのはこっち」
　一騎の前にはバランスの取れた若者向けのおかずが並んでいる。
「………」
「さ、食べよう。お互い健康には気をつけないとね」
　いただきます。
　響きの違う声が真壁家の食卓に響いた。

おしまい
200412222108