『吉羅暁彦』
　少し高い声に呼ばれて暁彦は足を止めた。
「アルジェント。何のようだよ？」
　移動教室の真っ最中でのんびり話をしている暇はないのだが。
『我輩、新しいアイテムを開発したのだ。試してみたくはないか？』
　姿を現したリリは自信作なのだと胸を張ってみせる。
「……………」
『な…なんだ。別に怪しい物じゃないぞ』
　沈黙にあわてるあたりがかなり怪しい。
「…あとでな。今はとりあえず次の授業に行かないといけないから」
　普通科棟にある化学実験室は遠いのだ。
『わかった。放課後にファータ像の前に来るのだぞ』

　最近まで学院のそこかしこにいるファータの姿を見ることができるのは姉の美夜と自分だけだった。
　過去形になったのはコンクールが開催されると同時に参加者にもファータの姿が見えるとわかったからだ。
　仲間ができるのはそれなりにうれしい。
　放課後の前庭をファータ像に向かって走ってゆく暁彦を見つけ金澤紘人はその姉に声をかけた。
「美夜。暁彦が走ってるぞ」
「暁彦？」
　弟のことを言われ美夜は窓の外を見る。
『あのねあのね。吉羅暁彦はリリ様のところに行ったのよ』
　ちりりと音を響かせて二人の眼前に現れたファータに紘人は眉を寄せる。
「アッコルド。金澤くんの傍によらないほうがいいわよ」
　羽根をつまもうとした手を伸ばしていた紘人を牽制する。
「それでアルジェントは暁彦に何をしようとしているの？」
『リリ様は新しいアイテムを作ったの』
　実験台か。
　うまくいったらいいが、そうじゃない方が可能性が高いだろうに。
　二人の三年生はその結末を思って目をそらせた。

「日野くん。今アルジェントから受け取ったものを出したまえ」
　香穂子と一緒にいるところを見つけ、暁彦はリリを睨む。
『な……我輩は何もしていないぞ！』
「嘘をつくなアルジェント。日野くん、それをこちらへ」
　香穂子を見る暁彦の目つきは至って真面目だ。
「……えっと……これは私がリリからもらったものではなくて…」
　可愛らしい小瓶を取り出す。
「実は冬海ちゃんからリリへのプレゼントを預かっていたんです」
　そのビンいっぱいに詰められたのは小さな星屑。
「………金平糖……」
「はい。ファータみんなで食べてと」
　手渡せるのは香穂子だけだから。
『わかったか吉羅暁彦。人をむやみに疑ってはいけないのだぞ』
　自信満々な声に暁彦はリリに冷ややかな視線を向ける。
「人は学習する生き物なんでな。そして、忘れない生き物でもあるんだぞ。アルジェント」
『な…なんのことだ？我輩は知らないぞ』
　上ずった声。
　香穂子はなんとなく理由を察して険悪な空気を和らげようと口を開く。
「大丈夫です。リリには十分だまされました。それに」
　手を伸ばして袖をつかむ。
「忘れないでくださいね。わたしがリリにだまされたおかげでここにあなたといるということを」

ＥＮＤ
200710292100